鳥取、余部、高梁の旅



2001年







5月の「ゴールデン・ウィーク」に旅行するのは避けて
いた。当然渋滞が嫌だったわけだ。98年夏には東名
高速の渋滞を経験したが、それが格別嫌だったわけ
でもなかったが、何となくそんな気になっていた。で
も、これまでの旅でも、人が行きそうな所はあまり行か
なかったのでまあいいか、と旅立った。

5月3日





 午後12時頃出発。
 今回は高速道路を使わずに行くことにした。白木街
道のいわゆる三次行き裏道を使った。この道は深川
からは信号も少なく、交通量もさほど多くなく、三次
までは中国道を使うのとさほど時間的に差はない。
高速料金を払うのがバカに思える。

 三次からは183号線で、日南町からは180号線
で、4時間ほどで米子に至る。中国道から米子道を
利用していたのが、実に愚かであったことに気付く。
曲がりくねった道はないが、軽自動車で80Kmを維
持するのは、結構疲れるものだ。

  180号線に入って、途中何度も工事中や注意の
看板に出会う。00年秋の鳥取西部地震の影響であ
った。

 9号線に入ってからは、9号線特有の渋滞。浜田
や出雲市付近でもよくある。人口集中地なのに2車
線しかないのだ。

 道の駅ポート赤碕を過ぎてからはさほどの渋滞もな
く1時間ちょっとで鳥取に着いた。


赤線が、5月3日のコース






 大山は曇って見えなかったが、白兎海岸を過ぎてからの海の景色は、日没近い曇天のもと、さすがに山陰らしい色
彩である。

 赤碕の道の駅で予約した鳥取ワシントンプラザホテルに投宿。さっそく夜の鳥取を歩く。連休で帰郷しているのか、
大勢の若者でにぎわっていたが、どうにも町が彼らを受け入れるキャパシティがないように思える。飲み屋はあるのだ
が、若い華やぎがどうもない。

 結局焼きそばを食べた。広島とは違いウスター系の味だった。鉄板で焼いてくれる焼き鳥も、肉が軟らかく美味しか
った。瓶ビールも冷えすぎず、私好みではあった。






5月4日





 今回の旅の目的は、日本海沿いの9号線を走ることと、余部鉄橋を
見ること、備中高梁に行くこと。

 鳥取から余部までは小一時間。せっかく来たのだから、列車が通過
するのを撮影しようと待っていると、二人の婦人から「いつ通過しま
す?」ときかれた。「僕もわからないんですよ」と笑顔で答える。数十分
待って列車が通過。

 豊岡の商店街は南側の家並みはいわゆる看板建築だが、舗道に屋
根がかかっているので、寂れ放題で、それも味があると言えばある。そ
こでラーメンと焼きめしの昼食。少し行けば出石そばが食べられたのだ
が・・・

 あとはひたすら山中の道を走る。私の旅の大目的は移動することで
あるから、それもよし。しかし、疲れた。


赤線が、5月4日のコース










朝来町の山中で、巨大な廃屋を見る。山腹一面を占めた工場のような廃墟。あとで、鉱山の跡と知った。
 思わぬ山道で時間を食ってしまい(計画不足)、最初の目標を破って中国道に。美作から賀陽まで。山腹のループ道
から見えていた高梁の町も、ホテルに着くまでに見る見る暮れていった。ループ道の途中で予約した高梁国際ホテルに
投宿。

 郷料理中田で夕食。今時の居酒屋。鶏の刺身(ささみ)とお酒が美味い。酒は純米酒「高梁」。水の良さが味わえる酒
だ。バイトの大学生(九州出身・男性)と親しくお話。人なつこい子だ。なかなかいい気持ちになる。






5月5日





 しばらく高梁の古い家並みを見学する。木造の白
いキリスト教会がかえって古いいい雰囲気を醸し出
していた。






赤線
が、5月
5日の
コース



井原、府中、豊栄、向井原と、山間の道を選んで帰着。
町中以外は通る車もまばらで、難なく三日間の旅を終えた。
これが、ホンダ・ビートとした、最後の旅であった。



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