2003年5月4日
今年のGWは3連休。そのうち1日は仕事で潰れたので実質2
日。むりやり出かけることにした。目的地は、大分県大野郡朝地
町字綿田。
4日は移動のみ。目的地は竹田市。10時30分発。11時過ぎ
に玖珂SAで昼食。小倉南ICから一般道を走る。小国の道の駅
までノンストップ。
途中、小石原村で思わぬ渋滞。10分足らずの山道を40分以
上かかる。小石原は陶器の産地らしく、それを目当てに多くの
観光客が押しよせた結果。
小国から442号線で行くつもりが、おきまりの迷い道。おかげ
で、今評判の黒川温泉を通る。閑静な山奥に、しっとりとした温
泉地があった。湯布院のような、計画された閑寂さだが、規模
の小ささと程よい奥まり度が、私にとってはたいへん心ひかれ
る。一度は行ってみたい温泉地だ。
細い山道をくねくねと迷いながら行くと、442号線黒川バイパス
に出た。ここは久住高原を走る高原道路。霞んで見えなかった
が、阿蘇を眺めながら、眼下遙か下に、阿蘇外輪山の内側の光
景を眺めながら、快適に走る。
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6時30分少し前に、小国で予約を入れた宿に投宿。
竹田は小さな町。東城や郡上八幡くらいの規模だろうか。宿
の近くの居酒屋で、鹿刺し、地鶏焼、カツ丼をいただく。味は中
の下。しかし雰囲気は素朴でよかった。
宿の廊下に掛かった画には、「ロンドンテームズ河口/チルベ
リードック風景/滝廉太郎と土井晩翠会見の場所」とある。
今から120年近く前、音楽を志す青年と、文学を志す青年が、
はるかイギリスで出会い、「荒城の月」が成ったのであろう。
新体詩や、小学唱歌をみて思うのだが、何らの手本(=歴史
的蓄積)もなかった中で、あれほどの作品が続々と生み出され
たことは、日本史上の奇跡の一つではなかろうか。
今日のBGM:
「日曜喫茶室」
CHICAGO VII / Chicago
「山下達郎のサンデーソングブック」
FUTURE IN LIGHT / Ken Ishii
ALONE / Bill Evans
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2003年5月5日
10時前に出発。宿を出てすぐの大分銀行の駐車場に車を停め
て散策。休日には観光客用に、こうした企業の駐車場が開放さ
れていようだ。
駐車場から歩いてすぐの「廉太郎トンネル」。正式には「溝川ト
ンネル」といい、明治中期に掘られた手堀のトンネル。今はセン
サーで人が入ると、廉太郎のメロディーが流れる。手前の白壁
は、廉太郎せんべいと、オルゴールの店。
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瀧廉太郎記念館。
廉太郎が12歳から14歳まで過ごした家。現当主も瀧さんでし
た。
このあと、円通閣や愛染堂をまわって、高みから竹田の町並
みを見てみるが、角度がよくなかった。岡城址は以前にも行った
ので、今回は割愛。 |
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愛染堂から下りると御客屋敷があった。そのほとりの用水にア
メンボウがいた。いったい何年ぶりに見るのだろうか、懐かしさと
感動のあまりにシャッターを切った。 |
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御客屋敷の裏手を回ると、いい色に風化し、苔むした石段が
あった。上に何があるのか確認しなかったが、木や草が鬱そうと
茂っているようだった。 |
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さて、今回のメイン。
10時30分過ぎに大分銀行駐車場を出て、迷いながらも、15分
くらいで着きました!
「日本一うまいコメ/綿田米」 |
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上の看板の見えるそばにバス停があった。 |
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バス停のそばに石碑があり、そこからはのどかな田園風景
が。
大分県大野郡朝地町字綿田は、うぐいす、ひばり、からす、な
どなどの多くの鳥の声に囲まれたところでした! |
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綿田での鳥や蛙の声が聞けます。--> |
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碑文にはこう彫ってあった。
「当 綿田地域は、大野川上流に位置し、江戸時代文政元年よ
り三春普請といわれた枝折谷古池と、その後大正七年から約八
年間の歳月を費やし、枝折谷新池を築造、六十町歩の灌漑を行
い、大阪登り米、豊後岡藩御膳米が生産された。
水田は大小不整で、且つ農道も狭小のため、農業の近代化が
困難となり、綿田地区民の総意を得て、県営圃場整備事業に昭
和六十一年度着手、平成五年度を以て約三十町歩の圃場、水
路・道路が整備された。
又、綿田水利センターを設立し共同化がなされた。
更に、王幸を水源とする全長五キロに及ぶ共同水道施設を全戸
に完備した。
この事が認められ、九州農政局長賞を受賞した。
当事業にあたっては、関係機関の格別な指導と援助を得、歴
史的な事業の竣工となった。その経緯と概要を後世に伝え、綿
田地区の和と農業が永遠に発展するよう念願して礎とする。
平成七年十一月吉日 建立」 |
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石碑から更に登って行くと、小さな道標があり、それにしたが
って谷を下って、「綿田簡易郵便局」と「綿田小学校」を見つける
ことができた。 |
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元は金で書かれていたはずの「綿田郵便局」。小さな建物
の前には、小さなポストがあり、今も集配をしている。 |
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朝地町立綿田小学校。 |
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右の門柱。左側の門柱には「昭和五十一年設立」と彫ってあ
る。
が、2003年3月をもって、綿田小学校は廃校となった。27年
の歴史。 |
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今日は、ゲートボールをする人々の姿が見えた。
碑文にあった「整備」が何をもたらすのか。濃密な空気の中の
豊かな自然。小さな谷にいだかれた小さな集落に、人々はどん
な思いで暮らしていただろう。郵便局ができ、小学校ができた時
に、どのような喜びがあったろうか。
道路が整備され、竹田市街から車でわずか15分足らずで難な
く到着できるようになり、生活が変わった。
その変化に対する評価は、私にはできない。
ただ、わずか30年足らずの間の、大きな変化に複雑な思いを
いだく。 |
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綿田を後に、442号線を大分市に向かう。野津原あたりでは、
深い谷を右側にして、細い国号がくねりながら続く。
佐賀関にむかう。道の駅で、昼食。「高島弁当」鰺刺しがつく。
佐賀関から四国へフェリーで行こうとしたが、予約がなければ
16時まで待てと言われて、やむなく大分道・九州道・山陽道で
帰着。
廿日市ICで1.5Kmを30分の渋滞で、20時前に帰着。
二日とも好天に恵まれ、ずっとオープンで走れた。
今日のBGM:
FMラジオ
ベートーベン交響曲全集 / W.フルトベングラー
全走行距離:916.8Km |
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