「讃岐うどん食いたい!」の旅


2003年9月13日;−尾道
        14日;−高松−善通寺
 HJOのライブも終わり、虚脱状態からも脱しつつあり、せめて気分だけでも連休を味わおうと考えていると、頭より胃袋が叫んだ。その次に舌が同調した。歯も声をそろえた。
「讃岐うどん食いたい〜!!」
 世間は3連休というに、日曜以外は出勤。
 それでも、まず尾道で1泊して、少しでも早く讃岐うどんに到達しようと考えて、13日、仕事を終えて18:40に出発。
9月13日(土)
20:00過ぎに投宿した「尾道ロイヤルホテル」は、中央桟橋のすぐそばで、部屋から尾道水道の全景が望める。

腹が減りすぎて、ホテル内の和風レストランというか、食堂というか、で、冷や奴、鶏唐揚げ、もずく蟹唐揚げ、生ビール。
冷や奴は中身の濃い本格的なもので、美味しい。もずく蟹は香ばしくビールによく合う。

時間が時間だけに、先に入っていた10名ばかりの団体客も去り、一人残った私に、尾道大橋の上にかかった立ち待ち月(17日の月)が相手をしてくれたのが、なによりの風情だった。

仲秋の名月は天気も悪く、なにより忙しさに紛れて気づいたときには去っていた。十六夜(いざよい)の月よりさらに人の興味の去った月は、何とも言えぬ風情。

風情に誘われて、尾道の町を散歩する。
とはいえ、9時過ぎの尾道商店街はどこも閉店、人影もまばら。
あっちこっちふらふらとあてどなく歩く。
シャッターを下ろした和菓子屋さんのショーケースに「今夜は立待月」との貼り紙がある。
よく見ると日めくりになっていて、尾道の風情のありどころがよくわかる。

林芙美子の像を過ぎて、尾道駅前に出る。
大きなビルが建っていて、十数年前に来た時とがらっと変わっている。
ミスタードーナッツでフレンチクルーラーを買い、ホテルに帰りながら食す。
池波正太郎なら、鰻とか鮨とかつまんで、和菓子屋によって帰るところだろう。

海沿いに歩く。人がけっこういる。
高校生のカップル何組かとすれちがう。
海べりの広場にテーブルを出して静かに宴会している人たちがいる。
場所が違えば気に障るかもしれないが、いずれも尾道の風情を感じさせ、嫌な気がしなかった。

眠る前にTVをつけると、「青春デンデケデケデケ」をやっていた。
大林宣彦監督で、香川県(観音寺)が舞台。
監督の出身地で、明日行くところが舞台と、みょうにシチュエーションが一致して、何となく見ているうちに最後まで見てしまった。2時過ぎた・・・・・・


今日のBGM:
Stranded/Roxy Music
Transformer/Lou Reed

旅の小動物シリーズ。
ばった

この先に千光寺へ登る踏切がある。
何となく尾道っぽい風景だと思いま
す。

夜の中に座り込む林芙美子
ケータイかけまくっている
ように見える。(Oguさんご指摘)

9月14日(日)


朝の尾道水道。陽光が目にしみる

9:40出発。山陽道、瀬戸中央道を経て高松に。
「うまひゃひゃ さぬきうどん」に出ていた「あたりや」をめざす。

残暑厳しいとはいえ、午前中は風も涼しく、 カーナビに目的地を入力して、オープンで快走。

11:30無事到着するが、ない!
「あたりや」がない!
100円パーキングに駐車して探しまわるが、ない!!
?????????????????

菊池寛通りというのがある。
そこをきょろきょろ歩いていると、菊池寛生家跡の碑があった。

もう一度車に戻って、電話番号で検索すると、違う場所を示す。
よく見ると、「上天神町」を「天神町」で探していたのだった。
とほほの思いで、「上天神町」へ。
到着した時は、12時過ぎていた。
パチンコ屋の駐車場に停めようとして、ふとながめると、
長蛇の列
恐るべし。

いくぜ、いくぜ。うどんだぜ。

菊池寛生家跡の碑
あきらめて、カーナビで「うどん屋」を検索して、一番近いところに行く。
高松市で「うどん屋」というと、讃岐うどん屋以外にない(きっと。たぶん。)

「べつばら」という店に入る。客は少ない。
セルフの店。やり方がわからないで、しどろもどろで、
「ぶっかけ大」320円。

ずるるるるっ、はぐはぐもぐもぐ。
うまい。この歯触りというか、口触りというか、これぞ讃岐うどん。
つるつる、しこしこ、歯が食い込む時の抵抗感と、ぷっつり切れる時の快感。
なんてありきたりの表現だが、あれは「讃岐うどん」という食べ物で、「うどん」の一種ではない。
そんな気がする、というか、そうだと考えないと納得できない。
次は「宮武」をめざす。カーナビは13:30過ぎ到着を予想している。

途中、「道の駅 滝宮 うどん会館」というかんばんが目に入る。
今回、最低3玉はうどんを食べようと心に決めていた。
あまりの空腹に、「べつばら」で大を食べたが、ここで一つ食べると3玉でなく、3軒になっていいか。

と、ところが、ここの小さな食堂(カフェテリアなんて書いてあったが)には、うどん関係は「うどんめし」というメニューしかなく、あとはラーメンや丼物。
「うどんめし」って何だ?
「そばめし」の向こうを張っているのか・・・?

なんだか肩すかしというか、ひざかっくんというか・・・

ただし、「うどん会館」というだけあって、学術的ではあった。(ただし、一枚の掲示と年表のみ)

「うどんを伝えた智泉大徳
 延暦8年(789)2月14日、父滝宮龍燈院の菅原氏、母空海の姉(後・智縁尼)の間に生まれる。空海門下第一の秀才と評され、十大弟子とも、四哲ともいわれている。
 延暦23年(804)遣唐使とともに入唐した空海が大陸の進んだ文化をたずさえて帰国すると、師であり叔父でもある空海から「うどんの祖」を伝授され、故郷である滝宮の両親をもてなしたのが讃岐にうどんが伝わった最初であると伝えられている。」

しかしながら、隣に展示してあった年表では、今のようなうどんの形になったのは室町時代であった。
うどんの歴史もなかなかおもしろそうであります。


うどんを伝えた智泉大徳
さてさて、14:00過ぎに「宮武」到着、
したのですが、田んぼの横を通る道に、

長蛇の列
恐るべし。(コピペ)
(写真撮っとけばよかったな・・・・・)

そうまでしてうどんを食べたいかぁ! てめ〜らっ!!
と、
そんなやつが、だったのです。

が、そんなやつらほどの根性もなく、
またカーナビで近所のうどん屋を検索、
「おざき」に行ってきました。

「しょうゆ大」280円、天ぷら(たぶん、ちくわ)80円。
これかけてと、出されたのが、
「しょうゆ〜?」
みたいな出汁みたいな液体。

レモンがのっているのが他と違う(のかも)。
たしかにレモンをしぼりかけると、さわやかな香りが口中に広がり、かけ汁と合う。

すでに「大」を1杯食べていたためか、半分くらいで食が進まなくなる。
おろししょうがの量が多すぎたのか、しだいに味にえぐみが出てくる。
「小」にしとけばよかったのか。
食べるスピードが遅かったのか、食感もぴろぴろ感が少なくなってきたような。
やっぱり食べすぎだよ。4玉だもん。

店のまわりには田園風景が広がり、近所の家族連れも三々五々やって来て、それなりに存在感を主張しているお店でした。

帰り道にも、いくつもうどん屋がありましたが、駐車場がいっぱいの店、すぐにでも入れる店、いろいろありました。
私が思ったことは、
駐車場がいっぱいの店は美味しい
でした。
ただし、想像です
そうでないかもしれません。いや、そうではないでしょう。
異様に行列ができている店は、
本やホームページで紹介されて、私のように、味を確かめようという客が多いと、
これまた想像です。

昨今の讃岐うどんブームは、まるで秘境探訪のような感じがします。
それというのも、四国の内陸部は、秘境の印象があるからではないでしょうか。
そうでなければ、讃岐うどんの、うどんと名づけられながらうどんではない不思議さでしょう。
もっとも、ふだん私たちが食べているうどんが、うどんではない可能性の方が高いのですが。

満腹で眠い高速道を16:50帰着。
今日の食事は、讃岐うどん4玉で終了。
この記事を書いているうちに、満腹感がよみがえって、文体が変化してしまった・・・
でも、また数ヶ月のうちに行きたくなるんだろうなぁ・・・

今日のBGM:
New Best One フランシス・レイ作品集/Francis Lai
Night In Tunisia/Charlie Parker

全走行距離:463.7Km


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