幼い時の写真を見て、人が思うことはそれぞれであろうが、共通するのは、
変わってないなあ〜
であろう。
太宰治は、その変わってなさに絶望したあげく、「人間失格」という名作を物した。
私は、変わってなさに、なんとか自分の根拠を見つけようとしている。
それゆえにか私は、名作はおろか、何もなしていない自分に絶望もせずに酒を喰ら
っている。
上の写真、たぶん私が2歳の時のであろう。
2歳というのは根拠があって、この写真が加古川の伯父のところで撮られたはずだ
からである。
はずというのは、私がそう思いこんでいるからで、加古川で撮られたのでないのかも
しれない。
いずれにせよ、写真を見るからに、2歳というのは当たっていよう。
なんだか難しい顔をしている。
仕事に就いてからこの写真を見るたびに、私は自分の性格の原点をこの表情にあ
ると思い続けている。
自分が今ある世界を捉え難いものだと、この2歳の自分が思っているのだと、思い込
んでいる。
本当は、寝覚めが悪いだけなのかもしれない。今も私は寝覚めが悪い。
ちょっとしたことで不機嫌になっていたのかもしれない。今も私は不機嫌になりやすい
し、それが表情にすぐ出る。
よく見ると、手が大きい。
おしゃれな帽子をかぶっている。
今の自分そのままだ。
ちなみに言うと、後ろの車がいい味出している。
ということで、
自分の原点を探しに、加古川に出かけたので、あった。
加古川市は昭和25年(1950)、加古川、神野、野口、平岡、尾上の5ヵ町村が合併し
てできた市。
現在の人口約26万人。
戦国時代は赤松氏の所領だったようだが、江戸期はどうであったか、加古川市のホ
ームページを見ても書いてない。
聖徳太子が16歳の時に鶴林寺を建立したことが、他のホームページからわかるが、
確たる所領意識がないまま現在に至っているようだ。
所領意識のシンボルたるお城も、
「播磨守護所であり、賤ヶ岳七本槍の一人糟屋武則の居城であった加古川城、現在
では全くその面影は残っていない。
加古川城は、国道2号線沿いの称名寺境内から北西部にかけて存在したといわれ
ていて、ここが城跡だと証明するのは、称名寺山門脇に加古川城の案内板だけ
だ。」
(参考:http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kakogawa.htm)
というありさま。
これまでのひとり旅で、なかばしかたなしにお城を見物していた身としては、なんだか
とらえどころがない。
もちろん、お城のないところへも行ってきたが、それは漁師町であったり、なんらかの
はっきりした色合いがあった。
豪族たちが争っていた播州平野の、ごく平均的な土地なのかもしれない。
江戸期は明石藩6万石に属していたのか、姫路藩15万石に属していたのか、加古川
という大きな川の東側であれば、明石藩領だったかもしれないのだが、それさえも明
らかに記さない加古川市の姿勢に、加古川のなんであるかを知るよすががあるよう
な気がする。
そうしてみれば、播州平野はおもしろい土地と言えるだろう。
司馬遼太郎の『播磨灘物語』は、残念ながら未読。
私は、これまでにどうやら二度ほど加古川に行ったらしい。
らしいと言うのは、幼くて記憶が判然としないから。
ひとつは、前掲の写真を撮られたごく幼い時。
その次は、小学校低学年の時だった。
加古川には私の伯父がいた。
母方の伯父で、一男六女の一番上でただ一人の男子。
かつて祖母の家で古いアルバムを繰っていると、中国大陸での旧日本陸軍の戦車
といっしょに伯父が写っている写真があったので、司馬遼太郎とほぼ同世代だろう
か。
土木、主に治水の現場に関係し、加古川にもその仕事で赴き、私が小学校の時に
行った記憶では、プレハブのような家に泊まったと覚えている。転がっていた工事用
のヘルメットをかぶると、水がしみ出た記憶があるし、従兄姉たちは押し入れを二段
ベッドにして楽しそうにしていた。
その伯父は、四十半ば過ぎで肝臓をやられて死んだ。私が小学校の時行ったの
は、その時だったように覚えている。
それから、わずかの年月で、祖父も亡くなった。
それから従兄姉たちは加古川の人間になった。
一番上の、やはりただ一人の男子のマスゾー兄ちゃんは、私より十幾つか上だ。豪
快で、心優しい兄ちゃんだが、十四年前の祖母の葬儀以来会っていない。
だが私は親戚を訪ねに行くつもりはなかった。
写真に写っている2歳の時の自分がどこにいたのか、ただそれだけの興味で車を走
らせた。
車で3・4時間の距離。会いたくなりさえすればすぐに会えるし、今はひとりを見つめた
い思いだった。
|
2004年2月15日(晴れ)
10時45分、出発。
前日この日のために洗車したのに、洗車を終えたと
たんに雨が降って、車体は早くもだんだら模様。
少々不機嫌。
しかし天気もいいし、ぽかぽか陽気。
さっそく山陽道に入り、おきまりの沼田SAで和風朝
食。遅い朝食というか、早めの昼食。
加古川はなんでもない地方都市という印象なので、そ
こで映画を見るのもいいかと思い、加古川サティのワ
ーナーマイカルを目指す。
山陽道から播但道、姫路バイパスを通り、側道に下り
たらちょっとした渋滞。
14時40分、加古川サティに到着。
今話題の「ラスト・サムライ」は16時10分からの上映。
それまでけっこう余裕。
しかし、前夜ネットで加古川プラザホテルを予約する
時、無線LANが使えることを知り、まずLANカードを購
入することにした。
で、パソコンコーナーへ行きLANカードのパッケージを
手にとってふと気づいたのが、このドライバってCDで
インストール? CDドライブ持ってきてないぞ。
じゃCDドライブも買わなきゃ。
見ると、USB接続のCD-Rドライブが安くある。購入。
「ラスト・サムライ」を見るとすると、ホテル着が18時こ
ろになりそう。昨夜15時チェックインで予約していた
し、映画のお客も多かったので、パス。
16時前にホテルに到着。
CDドライブとLANカードのインストールに取りかかる。
ダイアル・アップにせよ、携帯を使うにせよ、けっこう
お金がかかる。
この際無線LANカードを導入しておこうという算段だ。
CDドライブは、タワー型PCの上に載せて、ちょうど同
じ大きさで収まるほどの大きさで、持参のB5ノートPC
と容積は同じかそれよりでかい。
インストール説明書を見てると、ドライバを付属CDか
らインストールせよ、とある。
????????・・・・・・
CDドライブのドライバをCDから、イ・ン・ス・トー・
ル・・・・・?
さらに説明書をよく見ると、CDドライブがない場合は、
ネットからダウンロードしてください・・・・・・
ネットにつなぐためのドライバをインストールするため
のCDドライブのドライバをネットからダウンロー
ド・・・・・
な、なんという不条理。カフカか・・・?
しかたなしにダイアル・アップで接続を試みるが、ぜん
ぜん上手くいかない。
携帯で接続すると簡単に繋がったが、ドライバをダウ
ンロードしようとすると、
「残り時間32分」・・・・・・携帯でこれはきつい。すぐに
中止。
気を落ち着けるために自販機で買った缶チューハイ
を片手に、茫然自失。
やれやれ。 |
いい天気〜! 沼田SAにて |
気分を変えて、加古川での第2の目的のために外出
することにした。
どうやら加古川ローカルで、カツ飯という食べ物があ
るらしいことを、ネットで知った。
出発の前夜、店をネットで検索していたのだが、記録
は残していなかった。
店のおおよその位置は確認したのだが、寄る年波
(?)、あるいは生来の記憶力不足により、JR加古川駅
から南につづく商店街をうろうろした。
枯れたツタのからまる高い塀がある。その内側を覗く
とたんなる駐車場。
古い看板建築がある。
なんとなくノスタルジーをそそる。明日に予定した探索
に心がはずむ。
3巡目にして、細い路地にはいると、
「Coffee&Restourant Eden」の看板が。
これは昨晩のネットで見覚えがあるぞ。
外見は普通の(昔風の)喫茶店。
入り口横のサンプルに、「カツライス \800」がある。
入る。
何だか懐かしい内装。20数年前によく行った喫茶店
の雰囲気。(「円(まどか)」とか・・・)
カツライスとビールをたのむ。
お母さんと息子の二人でやっているようで、店内はテ
ーブルが8つくらい。
先客は一人、コーヒーで新聞を読んでいる。
先ほど商店街の本屋で買った文庫本を広げて煙草を
ふかしていると、無言のままビールとコップが静かに
置かれる。
私は目を上げない。こちらも疲れと空腹が全身を支配
している。どうやら、息子(らしきヤツ)が置いたらし
い。
ビールをコップに注ぎ、「世紀末の隣人;重松清」を読
み始める。
カツが揚がるジャワーという音がし、それを切るシャク
シャクという音が聞こえてくる。
意外に早く、やはり無言の息子が、テーブルに持って
くる。
(あのなぁ〜、お待たせしました、くらい言えよ〜〜〜)
こちらも、本に目をやったまま目を合わせない。
さて。ん〜〜。見た目は写真のとおり。
一枚の皿の上に、デミグラスソースのかかった薄い牛
カツがあって、ポテサラとヤサラがあって・・・カツの下
には、ご飯。
知らずにたのんだら、何〜じゃこりゃ、状態だと思う。
そこはそれ、私は事前の仕入れが行き届いているの
で驚かない。
いよいよ期待の、未知との遭遇。
あれれ、ご飯がぬるい。カツはそこそこ熱い。
え〜「カツライス(カツ飯)」とは、ご飯の上に薄目の牛
カツをのせ、デミグラスソースをかけ、縁に野菜サラダ
をあしらったものだ。
野菜サラダにはいろいろバリエーションがあるようだ
が、「Eden」では、ポテサラの左側にキャベツのミジン
切り、レタスとスライスキュウリにたっぷりのドレッシン
グがかかっている。
う、美味い。
人によっては賛否分かれるだろうが、
私はほかほかのご飯の約五分の二に、イワシかサバ
の缶詰(味噌煮、醤油味どちらでもOK)をのせ、残り
五分の二にポテトサラダをのせ、真ん中の五分の一
は白いまま、缶詰の汁がしみたご飯とポテサラのコン
ビネーションが好き、という「C級グルメ」なので、
この「Eden」の「カツライス」は、私にとっては「超C
級」。
ぢゃ、B級なのか、という議論はおいといて。
「超C級」ということで、ぬるめのご飯がベストマッチン
グ。
たしかに、「究極のB級グルメ」と言えなくもないが、Aと
かBとかCを超えて、
私は陶然と、
カツ-->デミグラのしみたご飯-->ポテサラ-->ビー
ル-->カツ-->デミグラのしみたご飯-->ヤサラ-->
ビール、
の永久運動を繰り返し、空きっ腹にぐいぐい飲み込ん
でいった。
最後にぬるくなったお茶を飲み干し、支払いを終え店
を出て写真を撮ろうと振り向くと、「本日終了」の札が
小さく扉に・・・。だから写真は撮らなかった。暗くなっ
ていたし。
支払いの時レジにいた息子は、ちゃんと「ありがとうご
ざいました」と言った。
よし。
私は彼と目を合わせた。
牛肉が大変なことになっている今日この頃、加古川の
「カツ飯」の前途は多難、なんだろうか・・・?
|
朽ちかけそうな看板建築
なんだか毛むくじゃらのレスラーの腕
のような塀
「カツ飯(カツライス)」
|
デパ地下で買い物。
ホテルへの帰りに「ヤマトヤシキ」というデパートの地
下の生鮮食品売り場へ立ち寄る。
私が山深い温泉宿より街のビジネスホテルを好むの
は、こういうところへ行く楽しみがあるから。
階段を下りたすぐ右手にお酒が置いてある。ウイスキ
ーが飲みたい気分なので「Suntory Old」のポケット瓶
を手に取る、が180mlで足るはずがないことに気づ
き、フルボトルを購入。
なぜ「オールド」なのか。
明日はいよいよ四十数年前に遡るのだから、今夜は
せめて二十数年前に遡っておこう、と。
あの頃舶来ウイスキーはとんでもなく、「オールド」でさ
え金持ちが飲むウイスキーだった・・・。
食料品売り場をうろつく。
明石最中というのがある。鯛や短冊、蛸壺の形をした
最中。なるほど、明石だから鯛や蛸。そいうえば美味
しそうな鯛焼きのお店も、駅前にあった。
(最中は、お土産として買って、ひとつ食べてみたが美味でありま
した)
生鮮食料売り場に行くと、赤ナマコや、鯛の肝という
パックもある。ナマコはすぐ食せるように切ってあるの
と、大きいのが丸ごとのがあった。
う、うまそー。加古川の住人はぜいたくだぞー。
目を転じると、明石だこの煮たのが、パックになってあ
る。
購入。
あとQBBベビーチーズ(カマンベール入り)(本当に「入
り」が小さく書いてあることに今気づいた)。
ホテルに戻って、一人酒盛り。
明石だこは美味いぞぉー! さすが地元なのか、煮
方が上手い。
パックを開けた時の見た目は、ちょっと、ちょっとだけ
ど・・・
タコのぷりぷりつるつる感をいささかも損なうことなく、
口に入れるとぷりぷりつるつるの快感が口中を襲う。
歯をたてると、甘い、カマンベール・チーズのような馥
郁たる香りが口の中に広がる。
そうそう、和食にはやはりサントリー・ウイスキーがよく
合う。「オールド」で正解。
先ほどは上手くいかなかったダイアルアップ接続もな
んとか繋がって、ドライバをダウンロード。
これでCDドライブが使えるようになった。
後はさくさくっと無線LANカードのドライバもインストー
ルして、無銭LAN、いや無線LAN環境が整った。
翌日の精算で、なんやかやで330円ほど電話代がか
かっていた。それに携帯を加えると・・・・・・ |
明石のタコ |
今日の走行距離;281Km
今日のBGM;Toys In The Attic/Aerosmith
Hittin' the Note/The Allman Brothers Band
The Stranger/Billy Joel
Aja/Steely Dan
|
2004年2月16日(晴れ)
朝十時までゆっくり睡眠。
以前は枕が変わると眠るのにむずかしかったが、最
近は慣れたからかすんなり眠れるようになった。
というより、疲れがたまりすぎているのか・・・?
11時前にチェックアウト。
腹ごしらえに、事前にネットで見つけた「いなみうどん」
を食べにいく。
道路工事で渋滞で、11時40分には到着。
と、ところが、なぜか「定休」の看板・・・。やはり月曜
のグルメはむずかしいのか。
で結局、道すがらみつけた「うぬぼれ屋」といううどん
屋に。
掻き揚げうどん(450円)といなり寿司(一皿三個250
円)。
うどんは、しこしことコシがあり、出汁も昆布が濃厚か
つくどくなく、関西うどんの粋が集まった味。
でも、ちょっと若いかな(?) 何がって、なんとなく。
美味いのは美味いのだが、客の舌で鍛えられるのが
食べ物やさんなんだと思う。
どの仕事も同じことだけど、供給側と需要側のこなれ
具合で、仕事の質が決まるような気がする。
店も新しそうだし、もう数年したらもっと落ち着いたい
い味になりそう。
周りを見渡すと、播州平野が広々と広がっている。溜
池も多かった。
讃岐といい、溜池とうどんの美味さは関係するのか?
|
播州平野。カメラにはおさまらない |
加古川の道路は、どうしたのだ"
立派に二車線あるのに、一方通行ばかり。
そう、二車線の一方通行。
そういえば、姫路市内もそうだったが。市街地の中心
に国道が走っているために、拡幅もならず、結局こう
いう方法しかないというのだろうか。
目的地点は、国土交通省近畿地方整備局姫路河川
国道事務所のホームページでつきとめた、昭和32年
(1957)から昭和35年(1960)にかけて改築された、
「古新堰堤(こしんえんてい)」。
私が2・3歳とすれば、ちょうどそのころに合致する。
古新堰堤に行けば、その近くにあの場所があるは
ず。
カーナビに指示して、カーナビの指示どおりに車を進
める。
加古川橋の東たもとに南側から到達、土手の道に入
ろうとするとどうやら一方通行。
あわててきた道を戻りかけて10メートルほど進める
と、気づきました。二車線の一方通行・・・・
またまたあわてて車を戻し、車で探すことをあきらめ
て、寺家町の「共同駐車場」に駐車。
12時40分、徒歩で行くことに。
む〜〜ん。加古川の女性は美しい・・・・・・そろそろ老
人性色呆症・・・・(?)
顔の造作はどの地とも同じく、いろいろあるのだが、
かもし出す雰囲気が美しい。
その美しさは、取りつくろったものでもなく、また居直っ
たものでもない。
歩きながら、巧まざる洗練されたチャーミングさとか、
その形容をいろいろ考えたが、
汽水域の魚介類が美味しいのと同じで、神戸という都
会と、播州という田舎(失礼!)の濃度が適度にいい塩
梅なのかと・・・帰ってきた今考えている。
いや、老人性色呆症ではなくて、人のあり方を考えて
いる。
これまで行ってきたその土地土地に、その土地土地
の「人の色」というものがあった。
それは、水の微妙な混ざり具合で魚がその色合いや
味を作り出すように、
あるいは、風土と歴史という濃密な水溶液が結晶を析
出し、その結晶が人間の核になり、
その結果人間は、その色合いを出すのではないか。
|
立派な2車線なのに、一方通行
ここは「元祖カツ飯 一勝」
今日は定休日
|
そんなことをなんとなく考えながら行くと、カレー屋の
横に墓地の入り口が見えた。
見覚えがある気がした。
いや、気がしただけなのだが、墓地に入ると、なにか
のスイッチが入ったような感じがした。
顔見知りの名前が目の前に並んでいるが、それはた
んなる偶然。
確かにこの方向に行ったことがあると歩みを進めた
が、しかし見知らぬ人の墓ばかり。
それもそうなのだが。
墓地を出てしばらく歩き、加古川市中央消防署の前
の横断歩道で信号を待っていると、向こうに、従兄の
マスゾー兄ちゃんが年取ったような顔の男性がいた。
マスゾー兄ちゃんももう六十ころかと思うと、あれはマ
スゾー兄ちゃんだったのかもしれない。
が、そう思うのもなにかのスイッチのせい。
|
カレー屋(右の白い建物)の奥に、
墓地が |
横断歩道を渡ると、すぐに加古川の川土手に。
繋がれていない飼い犬がふらふらとして、私に噛みつ
こうか少し思案して、すれ違った。
土手を登り、川の方へ降りるとそこは広々とした遊歩
道があった。
遊歩道から川を見ると、春先の長閑な風景であった
が、たびたび氾濫したということが納得できるような、
幅の広い川だ。
川向こうの高砂市側では、今日も工事が続けられて
いる。
広く舗装された遊歩道を外れて、川のすぐほとりを歩
いていく。
川には水鳥が、私の歩く先にも、雀かと思ったがそれ
とはちがう鳥が、私が気づくまで彼らも気づかずに、
のんびりした時間を過ごしている。
カメラを構えると、ようやく気づいたように、はばたく。
そしてシャッターチャンスを失う。
古新堰堤は、なんでもないようなコンクリートの堰だっ
た。それだけに、加古川がどれだけ荒々しい川である
のか、わかるような気がした。
そばには駐車場があり(しまった! わかってたら車で
来たのに)、大学生らしいカップル、親子連れ、孫とお
ばあちゃん、ギターを弾きつつ歌う学生たち、なんとも
長閑な日射しの中にふさわしい光景だった。
そこから再び土手の内側に下りて、あの場所を探す。
あては「勘」あるいは嗅覚のみ。
新しい宅地と、昔ながらの畑地の中の集落が交錯し
ている。
疲れたころ喫茶店をみつけ、ホットコーヒー。
もしだめでも、鶴林寺に行って帰ろうと、北に足を戻
す。
右に団地が見える。
こっちのような気がして、道を渡る。
団地を過ぎて神社の木立が見える。
行ってみると「泊神社」だった。
宮本武蔵の養子伊織が改築したといわれる神社で、
能舞台がある。基礎部分は、伊織が改築した当時の
ものだというが、橋掛かりは物置と化していた。
なんとももったいない。
宮本武蔵云々はともかくとして、これだけの能舞台が
野ざらしにされているのはもったいない。ぜひここで野
外能を見たいものだ。
|
旅の小動物シリーズ
水鳥。遠すぎて見えない・・・
旅の小動物シリーズ(2)
練習するフォーク・デュオ・・・(失礼)
古新堰堤
泊神社の能舞台
なかなか立派だと思うのだが |
泊神社を通り抜けて北に歩みを向けようとする。
なんだか後ろが気にかかる。
振り向くとまっすぐな道が見える。
そこがあの場所のように思えてならない。
手がかりは何もない。ただ、あの写真を撮った場所が
あったと感じただけのこと。
横断歩道を渡って、行く。
鉄工所がある。昔風ではなく、整理された、今風の。
もはや、検証ではなく、そこを信じることだけが、ある。
近くに幼稚園があり、ちょうどお迎えの時間。母親が
園児を連れて帰る。その手前。
私は、確信した。
道の幅も、コンクリート製の塀も、何もかも変わってい
るが、きっとここにちがいないと。
それは、たぶん、勘違い・思い込みだろう。
でも、私は、あの時の私をここに確定した。確定させ
る何かがあった。それは、空気感とも言えるもの。
私はここから、40数年を経た。
ここが、本当の「あの場所」でないとしても、あの表情
を持った男の子が、ここから(さまざまな時と場所を経
て)ここに来た。
そう私に確信させる場所だった。
なんでもない日常しかない場所。そこから私は、今の
なんでもない日常しかない場所にいるのだ。
数十メートル戻りかけて、もう一度振り向いてみた。
私はここから自分を始めたのだ。
|
「あの場所」
加古川市加古川町備後
あの時の自分を置いてみた。
少しズームして、モノクロにしてみ
る。
違和感なくたたずんでいる。 |
さて、目的を達成し、帰ることに。
泊神社の方へは行かず東へ行くと、橋がある。
「きゅうりひがしばし」とある。
「なすびみなみ」とか「かぼちゃにし」とか「だいこん
きた」とか、あるのか?
地図で見ると、「鳩里」と書く。
先ほどの場所のすぐそばにあったのが、「鳩里小学
校」と「鳩里幼稚園」。
「きゅうり小学校」に「きゅうり幼稚園」。
漢字で書くと風情を感じるが、かなで書くと新鮮な感じ
がする。
トマト銀行より元気がありそうだ。
10分あまり歩いて、「共同駐車場」へ。
歩いた距離は帰宅後調べると、約6.5Kmであった。
14時50分過ぎ出発。道路標識にある「鶴林寺」を廻
って、帰路に。 |
胡瓜東橋・・・? |
白鳥SAで明石焼きを食べ、18時45分帰着。 |
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今日の走行距離;300.6Km
今日のBGM;バレエ組曲“三角帽子”から/NHK-FM
The Nightfly/Donald Fagen
The Stranger/Billy Joel
No New York/Produced by Braian Eno |
後日談
久しぶりに父親に会ったので、写真を見せてどこで撮ったのかと尋ねたら、覚えてい
なかった。
ちなみに後ろのいい味の車は、トヨペット・クラウンだそう。
父親は広島のいろんな地名を口にするので、加古川でなかったらこのページは無意
味になるなあと思っていたが、思い出さなくて、よかった、ような、気がする。
さらに翌日母親にも尋ねたが、母親も覚えていなかった。
40年以上も前の一日は、かくもはかないものか。
いや、一日一日というものがそのようにはかないものとしたら、人の人生というものの
はかなさもかくの如しというところか。 |
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