城下の地下道を渡って道路を渡ると、男女の高校生が4人いた。
なんだか高校生が元気な街だ。
場内橋を渡り、ぐるっと回った形で再び商店街へ。
なぜか、商店街に本屋が見あたらない。
JR駅に戻り、薄暗くなった中を今度は南方面へ行く。
行けば行くほど寂しくなる。
途中小さなスーパーの店頭にいる店員に本屋を尋ねるが、遠いと
言う。JR駅にも駅前にも本屋はなかったし、唐津市民は本を読ま
ないのか?
JR駅に戻ろうとして見渡すと、遠くに「Bookoff」の看板が見える。
すっかり暮れた道を5・600メートル歩いて、行く。
3冊買って、JR駅に戻り、商店街周辺で居酒屋を探す。
駅のすぐ向かいの「山城屋」が古い寂れた民家で、店先にある冷
蔵ショーケースに地元のサイダーがあったりして気になったが、飲
む前にうどんというのもというのでもう少し歩く。せっかくなので魚
介系を。
焼鳥屋が目につく中、「居酒屋 大八車」へ。
地カキ酢、串カツ、骨センベイ、生ビール1杯、燗酒2合。
地カキは小指の先ほどの小さいもの。そのぶん味が濃いかなあと
思いながら食べたが、それほどでもない。
串カツは、豚肉が串に刺して揚げてある。付きもののネギとかタマ
ネギはなく、一枚肉が串に刺して揚げてある。それが二串。
骨センベイは、アジとキスと丸ごとが5匹分。これは美味しかっ
た。
もう少し食べたかったが、食指が動かず、唐津城に行くときに気に
なった「大連水餃子」へ行く。
途中唐津焼の店を冷やかす。
なかなかよい皿があったが、旅の風景と同じく、持ち帰らずに記憶
にとどめる。
「大連水餃子」はなかなかの繁盛である。
水餃子と紹興酒をたのむ。
紹興酒はガラスのコップに熱々で出てくる。
少しして水餃子がくる。
美味い。
歯を立てると熱いスープがほとばしり出てくる。
なにより皮が美味い。食べているうちに顔がほころび、にこにこし
ながら食べている。
奥の席に酸素吸入を鼻につけた老紳士が、家族と食事している。
白髪面長で、上品な顔立ちである。
周りの客たちは気づかないのか、平気で煙草を吸っている。その
うち老紳士は鼻からチューブを外し、会話も弾んできたようだ。老
紳士は、煙草の煙も含めて、ここで食べることを楽しんでいるのだ
と思い、私も一服つけた。
水餃子は一皿10個。10個食べ終えて私は確信し、ラーメンと青
島ビールをたのんだ。
ラーメンは時間がかかるということ、あんかけであることを了承し
て、じっと待った。その間も、先ほどの嬉しさが心と体をほぐしてく
れるようであった。
ラーメンが来た。
一口すする。美味い。
食卓には胡椒はない。ラー油をひとたらしする。
とろみのついたアンには、豚肉、ニンジン等の野菜に加えて、キュ
ウリの千切りがのせてある。それがさわやかな風味を加えてい
る。
キュウリの香りや味が風味を添えるほどに、言葉の原義通りに微
妙な味付けである。
そして、なにより麺が美味い。
餃子にせよラーメンにせよ、小麦の香りと味が舌でふくらみ、のど
の奥から鼻へと抜けていく。
ラーメンや餃子が美味い店というのは、それは、具やスープが美
味い店ということで、餃子にいたっては、具の多様性や焼き方に
頼っている。
中国人が麺や餃子などを食べているところをテレビなどで見てい
ると、具は、麺や皮、つまり小麦粉を食べるための添え物のように
思える。
粒食文化の日本人は、実のところ「粉」の食べ方を知らないので
はないか。
そこまで言わなくとも、センスが違う。
日本の代表的な小麦粉食はうどんだが、小麦粉そのものの香ば
しい香りを楽しむのとは違うように思う。
日本人の穀物の食べ方は、米の食べ方に象徴されているのでは
ないか。
米は洗わずに「研ぎ」、煮ずに炊くのである。
「炊く」というの関西弁であるのかもしれないが、関東でもどこで
も、米は「炊く」のである。
そこには、米の粋の味を味わおうとする姿勢がある。与謝蕪村の
「新米もまだ草の実のにおいかな」という発句によって、私たちは
ようやく米は草の実であることを思う。
洗うこともせず炒め、水で煮るパエリアやリゾットとはちがう味覚
が、日本の味覚にはある。
日本唯一の小麦粉食と言ってもよいうどん(ほうとうや、すいとん
も?)の作り方の基本は、この米の調理方法にあるのではない
か。
ひょっとしたら、私たちは小麦粉を食べているのではなく、小麦粉
から抽出されたグルテンを食べているのではないか。
幼いころ祖母の家での餅つきの際に、たくさんのせいろで蒸し上
がった餅米から立ち上る香りを嗅いだが、そのざらついたような甘
い香りは、炊いた米からはしない。
もっと抽象化された香りとでも言うのだろうか。
これは学問的には抽象度が進んで高度化した、あるいは洗練さ
れたと言えるのかもしれないが、食物の持つ、すなわち生命ある
ものの荒々しい力からは遠ざかっているのかもしれない。
そうした感性で作られた餃子の皮やラーメンの麺とは次元の違う
ものであった。
支払いのときに尋ねると、大連から帰国された李さんの手打ちだ
という。
JRは毎時14分と38分の発であることを記憶していたのだが、その
まますぐに帰りたくて、唐津駅北口でタクシーに乗る。
ホテルの名を言うと、「ああ、ホテル○○○ですか」と気落ちした
口調。
なんだかゆっくりと走る。
メーターが一度音を立ててほんの少しでホテルに着く。
広島の感覚でタクシーに乗ったのだが、歩いても10分程度の距離
だったのかもしれない。今地図でたしかめるとほんの2キロメート
ルの距離だった・・・。
ホテルの部屋で、唐津を考えようとした。
が、いつもの習慣でテレビをつけた瞬間、唐津の何であったか、
私の中から抜け出てしまった。
自分の部屋で見ている番組が、そのまま画面に映し出されて、私
は自分の部屋でと同じように画面を眺める。
テレビによる文化の画一性の弊害が言われたのは何年前だろう
か。
その弊害とはこういうことなのかと、合点する。
さっきまで唐津の街の空気が身にしみるように残っていたのだ
が、テレビ画面を見たとたんに、自室にいるかのように消えた。
単に集中力と記憶力の問題なのかもしれないけど。
つもり積もった疲労のせいか、ぐったりとしてせっかく買った本も袋
から出すこともせず、風呂を使ってぼんやりとまたテレビを見た。
・・・・だめぢゃん
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