8月14日(晴)

富山-松本-上田-軽井沢-前橋


 この日は二日酔い、気持ちが悪い。予定の一時間遅れで10時15分に出発。国道
41号線を富山市内から南下する。11時過ぎ、道の駅細入で早めの昼食。天ぷら蕎麦
に、お握り二個。安っぽい天ぷらがもたれる気もしたが、蕎麦は味も香りもいい。出汁
は利尻産昆布使用と貼り紙にあるように、昆布のにおいがぷんぷんする。最初におい
を嗅いだときは鼻を突いたが、食べてしまえばそれほど気にもならない。ただし、だか
らといって美味しいとも思わない。お握りは厚みのあるやつで、とろろ昆布の厚めのや
つを千切りにしたようなのがまぶしてあって、口に入れるともさもさする。二日酔いの薬
と思って、水(これは美味かった)と蕎麦の出汁で押し込む。水と蕎麦がうまいのだか
ら、ほかに何とかしようもあるように思うが、地元の人たちにはこれが目新しくて受ける
のだろうか。やはり道の駅なんかでなく、それ相応の店を見つけるべきか。
 30分ほどして出発。特効薬が効いてきたのか、次第に正常な気分に。昨夜英ぶる
さんからいただいたCDをBGMに、神岡から471号線に入り、安房トンネルを700円
程払って、日本アルプスを越える(というか、くぐる)。13時頃、見覚えのある交差点で
信号待ち。左に曲がると上高地。けっこう人出があった。右折して安曇村を通り松本
へ出る。その間オープンにして走ったが、高原でのオープンは気持ちがいい。
 松本から上田へは、パソコンがはじき出したルートに沿ったが、なぜか北上した遠回
りの道。たしかに有料道路も曲がりくねった峠道もなかったが、なんの変哲もない田舎
道。松本を梓川に沿って北上しながら左手に見える山脈を見ながら、山が好きで信州
大学に行った新宅君のことを思った。華奢なやつだったが、自分の思いを通し、たし
か今は県庁の林野部にいるはず。日曜ごとにあの山のどこかに登ったのだなと思い
ながら車を走らせ、15時前、道の駅さかきたで休憩。トイレだけの自販機もない道の
駅、上田まではまだまだある。
 15時50分頃上田に入る。旅に出る前は千曲川の写真でも撮るつもりでいたが、軽
井沢にも寄らねばならず、小諸市を通過する頃「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子
悲しむ」と、中二の時藤原先生から習った藤村の詩を口ずさむが後がつづかない。我
が学問は何事であったのか・・・。小諸から軽井沢は案外近く、16時45分頃、堀辰雄
文学記念館に到着。



堀辰雄文学記念館の入り口 堀辰雄の書庫、四畳半くらいか? 瀟洒だが小さい



 軽井沢というと、まずブレッド・アンド・バターの『傷だらけの軽井沢』という暗い
歌が思い出される。避暑地の夏、年上の女性、アバンチュール、しかし最後は
「傷だらけ」という歌である。この少年は夏が過ぎてどこに帰っていったのだろう
か。そして年上の女性は、「有閑マダム」などという古びた響きが似合う女性なの
だろうか。まあ、もともとこの歌自体1969年に発表された古い歌なのだけれど、
ブレッド・アンド・バターの、少年の線の細さを思わせる声が、夏の終わりの傷つ
いた少年の心をよく表現している名作だと思う。
 こうした軽井沢のイメージというのは、もとをたどれば堀辰雄に行きつくのかもし
れない。純粋清浄さと恋と、死。それもひと夏のつかの間。
 国道18号の下り車線は軽井沢町内では渋滞であったが、人々はたんに高原
の涼しさだけを求めてやって来るのではあるまい。軽井沢の持つそうした危うい
雰囲気が、軽井沢を求める人々の背筋さえも涼しくするのではあるまいか。
 じつは私は、堀辰雄を読んだことがない。詩の断片くらいなら目にしたことはあ
るが、小説は読もうとも、読まねばならないとも、思わなかった。そしてそれは、軽
井沢を訪れた後の今も変わらない。弟が教えてくれた『菜穂子』の冒頭「あ菜穂
子さんだ」だけで、私は十分な気がする。「風立ちぬ、いざ生きめやも」のほうが
先なのだろうが、結核を病みながら昭和28年、49歳まで生きたとすれば、当時
とすればまさに「生きめやも」であったのだろう(なんのこっちゃ、わからんけれ
ど)。嵐山光三郎が堀辰雄のことを「逞しき病人」(『追悼の達人』)と言っている
が、軽井沢のイメージを作り上げ、「人生五十年」(に一歩足らなかったが、数え
でいけばまさに五十年)を全うしたのである。
 私にとっては、『傷だらけの軽井沢』で十分である。もし私が東京に暮らしてい
るとすれば、軽井沢は気温の低さだけを求めて行けばいい土地である。それな
らば、広島に住んでいる私にとっては、祖母のいた加計町香草だって同じだ。少
年の夏の日は、アバンチュールに憧れるに絶好である。

   我が夏を憧れのみが駈け去れり麦藁帽子を被りて眠る   修司

 寺山修司は健康的だ。



 軽井沢を過ぎるとすぐに碓氷峠。難所として有名なこの峠がいかほどのものか
期待を込めていたが、軽井沢からは下り。前にはニッサン・マーチがゆっくりと
走る。カーブごとに180あまりの番号がふってあるが、マツダ・ロードスターの腕
並み拝見とはいかず、カーブの多さに辟易した。浅間山荘事件の時、佐々敦行
はこの道を逆に登っていったんだよな、寒い冬の朝に。などと考えるゆとりさえ
あった。
 妙義山の不気味な山容を眺めながら、安中市。市街地では渋滞に巻き込まれ
ながら、19時20分に前橋市、前橋東急イン着。車中から稲光が見え、ラジオで
は前橋は大雨雷雨警報が出ていると報じたが、到着時には終わっていた。
 夕食に町中に出るが、すぐにピンク街に巻き込まれ客引きに襲われる。財布
がないのに気づいてホテルに引き返し、そのままホテル内の「つきじ植むら」で
招華堂弁当と生ビール2杯。鰆の木の芽田楽以外は高級駅弁の感じ。寝る。



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