9時過ぎに出発、敷島公園バラ園にある萩原朔太郎記念館へ行く。バ
ラ園を奥に進むと、敷地のはずれにそれはあった。管理人もなく、内部
に資料が展示してある土蔵へは自由に入れる。自筆原稿や自筆楽譜も
あり、こぢんまりとだがよく整理されている。
記念館へつづく道すがら、こんもりと茂った木の中から、何の鳥だかぎ
ゃあぎゃあ鳴いている。まるで朔太郎の魂のように聞こえる。
「ゴンドラクラブ」と名付けた書斎は、想像していた以上に小さい。父親
から「飼い殺しにしてやる」(嵐山光三郎『文人悪食』)と言われた朔太郎
が、気ままに見える生活をした建物。しかしその実、この内部では朔太
郎の秘儀とも言うべき作業がなされていたのであろう。とすれば、この想
像以上の小ささは、朔太郎の脳の大きさに見合った、というより彼の脳
の大きさそのものであったのであろう。したがって、その内部は厚いカー
テンに閉ざされて伺うことはできなかった。
観覧を終えて、朔太郎が愛したという敷島公園の松林の中を歩く。林
中の羽黒トンボやカラスなどの小動物が、朔太郎的色彩を帯びて感じら
れる。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
(「地面の底の病気の顔」『月にほえる』)
林の中の湿っぽい柔らかな地面を踏んで歩くと、その地面の中の「鼠
の巣」「かずしれぬ髪の毛」が靴底を通して足の裏に感じられてくるよう
な、そんな気がしてくる。不気味ではあるが、この感触からは逃れること
ができない。松林は広くつづいている。
私は第一詩集『月に吠える』が一番好きだ。これ以降の詩集は理屈が
勝ちすぎる気がする。小さな書斎に閉じこめられ、書斎の建物いっぱい
に広がった小さな脳とその表面の皮膚感覚が、かすかに電気を帯びた
空気を嗅ぎ分け増幅したような、生体でできた真空管のような詩の集ま
りが好きだ。
この松林なくしては、真空管は放電できなかったのかもしれないと思っ
た。
10時前、敷島公園を後にする。 |
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