8月16日(晴)

本郷-
京都



 9時に宿を出る。神田橋JCTから首都高速に入る。東京の町を自分
の車で走るのも、自分一人で歩いたのも初めてだった。
 東名高速では横浜町田IC付近で渋滞。30分ほどで渋滞を抜け、こ
の日は少々早く10時半に食事をとるため海老名SAへ。ハンバーグと
エビフライセット。ちょっと子供っぽいが、食べたかった。
 その後は順調に進む。御殿場の手前あたりから激しい雨が降るが、
山を下ると何事もなかったよう。名古屋あたりからエアコンの調子が悪
くなる。モーターは回っているのだが、冷気がちょろちょろとしか出てこ
ない。室温がじりじりと上がる。西日が射し込んでくる。瀬田東IC、大津
ICあたりで渋滞。暑さがつのる。渋滞が解消されたと思ったら京都東
ICで、そこで高速を降りる。17時10分頃。500Km近い走行だが、さ
ほど疲れを感じなかった。

由比あたり

鴨川納涼床、川面を渡る風は涼やか


『檸檬』に出てくる八百屋 証拠の「八百卯」の看板 寺町京極通り
現在の丸善の入り口 7階、和洋美術書籍コーナー 二銭や三銭のもの―と言って贅沢なものと、エゴン・シーレ



 この日は送り火の日だった。そんなことも知らずに京都に来てしまった。知らずに来たの
だから、知ったからといって、わざわざ見ることもせず、「花は盛りを、月は隈無きを」と兼好
を気取る。
 ホテル前のちょっと先から乗ったタクシーの、初老の運転手さんは優しかった。「京都は
初めてですが、二条寺町ってありますか。」あるはずで、私はそこが目的地であったのだ
が。タクシーが止まったのが、まさしくその目的地「八百卯」の店先であったが、閉店してい
たのと、まさかそのまん前に止まるとは思わず、また昨日のように探し回るのかと思って少
し歩き出してふり返ったら、そこがそうだった。

これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほ
どなので、(『檸檬』以下同)


 「八百卯」はちょうど角にあるので、今は建て替わってビルになっているが、昔風の家でひ
さしが低ければまさに帽子の庇を下げているように見えるだろう。 
 「八百卯」を起点にして、寺町通りを北に歩く。なんども鳥肌がたった。軒の低い家、小さく
てみすぼらしいもの、そんな、基次郎がいつくしんで『檸檬』に描いたものの中に自分がいる
のである。

二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむ
しろ媚びて来るもの。――


 しばらくそのまま歩いていると、インド雑貨の店があった。通り過ぎて道を渡ってUターンし
たのだが、基次郎にとってのビー玉や玩具花火のようなものがそこにある気がして、入っ
て、幾つか買った。台湾製の小さな鋏、インドネシア製の木の葉型の鉄トレイ、中国製の箸
三膳。全部あわせても1300円程度。基次郎の当時で2、3銭というと、今の5、600円だ
ろうか。三点あわせて1300円だから、私の趣味もいい線いっている(・・・?)。
 それらを買って、通りがかりにタクシーから見つけた「丸善」へ向かう。
 日は暮れて薄暗いが、「八百卯」の東の細道を南に向かうと、だんだん明るくなる。基次
郎の憂鬱がつのるのがわかる気がする。

酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来
る。それが来たのだ。


 なんだか混乱した文章だが、自然に分かる気がしてくる。青春の日の鬱屈と言ってしまえ
ばそれはそうだけれども。
 御池通りを渡りしばらく行くと、「寺町京極通り」の看板を見つける。大きなアーケード街。
こりゃあ、あの閑寂と小ささを愛して歩いていれば、気持ちも凹んでくるはずだ。しばらくそこ
を歩いて、小路に入りもうしばらく基次郎になってみる。

 丸善は明るい。七階に和洋美術書籍がある。エスカレータを歩いて上る。基次郎の跡を
たどるうれしさだ。七階に着いたが、もちろんレモンが置いてあるはずはない。が、こっそり
腰位置で撮った写真には、色とりどりの画集の背表紙が写っている。

本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。(中略)奇怪な幻想
的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。(中略)その檸檬の色彩はガチャガチ
ャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえって
いた。


 帰ろうとして棚を見ると、エゴン・シーレがあった。装飾性ではクリムトに負け、性器をその
まま描いたシーレの、浮世絵版画の影響を受けた輪郭線の不器用さ。
 シーレの、生きることの境界線上にある死の影を思う。
 1901年生まれの基次郎は、1890年生まれのシーレを知っていたろうか。シーレは基
次郎にとってのレモンたりえて、丸善の棚にあったのだろうか。
 送り火を見に行く人の群れと反対方向に歩いてホテルに帰った。




 宿へ帰るの途中「とりどり」という若者向け居酒屋で酒を飲んだ。
湯葉を使った料理が京都らしさを出している。チーズと大葉を湯葉
でつつんであげたもの、湯葉ガンモ、はんぺんのおでんにバターを
入れたものは、美味しかった。鶏串はタレがくどくてだめ。地酒もお
いてあるが、京都にとっての地方の酒という意味であった。そうい
えばそうで、広島で地酒酒場というと、広島以外の地方の酒を飲
ませるところだ。
 これで、私の今回の旅は終わった。今日は移動するだけのはず
だったが、思いたって行ってよかった。車のエアコンが不調だし、
明日はゆっくり朝寝して、修理に寄ってから帰ろう。


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