2005年8月12日(金) 晴
9時30分過ぎ、出発。
最近どうも食べ過ぎ。夏はいつも、ストレス食いとでも言うのかこれでもかと食べてしまうので、とくに今年は体重オーバー気味。
で、朝食は抜きで山陽道を東に向かう。
99年秋に行った龍野で、もう一度美味しい煮麺を食べることにする。
渋滞もなく、SAで休憩しながら、龍野ICを下りて13時過ぎ龍野城に到着。
まずは前回入らなかった本丸御殿に入ってみる。なんとなく質素な感じがする。
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龍野城
もともと山城であるため天守閣はな
く、これは櫓。
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城から下りてしばし歩く。司馬遼太郎は「街道をゆく」で龍野は静かな町だと言っていたが、本当に静か。
人気がないというのではない。人は見るのだが、また人の気配は十分にするのだが、町の持つ空気が静かなのだ。
城内では中学生が二人スケッチしていたし、城の脇を流れる用水に臨む休憩所では小学生が2・3人、祖母だろうか老女に手伝われてスケッチをしている。
さらに町を歩く。古い町並みが残されているが、そうした町並みだけでなく、工具店や魚屋が3〜40年前のままに営業していて、本当に不思議な町だ。 |
醤油工場の裏口
横に「電気式」自動販売機でもろみ
や醤油が売られている。 |
古い味のある建物が残されている。 |
「そうめん」というのがいかにもそうめ
んの本場らしい。 |
橋の欄干に「??」反対側には「十
文字川」とあった。 |
前回は高級そうで敬遠した「片しぼの宿 梅玉」で食事することにする。
14時前ということもあり、客は誰もいない。食事できますかと尋ねて、「煮麺御膳」1400円たのむ。少々高いが、上品なおかずとご飯が付いて、煮麺もしゃきっと腰があり、焼いた鰻の切り身が一片載り、出汁もスッキリと、美味。 |
煮麺御膳 |
三木露風「赤とんぼ」の歌碑に寄る。
この静かな町と、露風初期の象徴詩と、「赤とんぼ」と、どうかかわっているのか。郊外の田んぼの風景を見ると「赤とんぼ」の風情は満ちているが、町並みの中では変な言い方だが、静けさに頭が掻き乱される。 |
電柱にも、マンホールにも赤とんぼの
模様 |
三木露風「赤とんぼ」詩碑。
近づくとメロディーが流れ出す。 |
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15時15分頃、姫路、亀山本徳寺に。
京都西本願寺の北集会所(しゅうえしょ)が移築されて本堂として使われている。
この北集会所は幕末、新撰組が屯所として使用されたもので、隊士がつけたであろう刀傷が残る柱が今もある。
ま、先年の大河ドラマのロケ地であったということで、歴史的興味より、三谷幸喜と香取慎吾が座って話をしていたところという興味の方が強かった。
京都から移築され、歴史の生臭さが地方都市の片隅で薄められたような感じだった。 |
亀山本徳寺本堂 |
刀傷が残る柱 |
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16時前、姫路城。
中には入らずに、外からだけ見るが、じつに大きく立派で優美な城である。これまで訪ねた城とは比較にならない。
城の周りを歩きまわって、宿へ向かう。 |
姫路城天守 |
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明石の海岸沿いを走っていると、「たこフェリー」というのがある。淡路島と明石を結ぶフェリー会社らしい。べつにフェリーがタコのかたちをしているのではない。ネットで調べると、船体にタコの絵が描いてあるらしいが、船着き場に泊まっている船はよく見えなかった。
18時過ぎ、明石キャッスルホテルに着。
19時過ぎ、「とり居」で明石焼きとビール。本場の明石焼きは初めて。
カウンターだったので作るところが目の前で見られる。水のようにゆるい生地を型に流し込みタコの切り身を入れる。しばらくしてひっくり返すとできあがる。
外はぱりっとして中はとろとろ。出汁につけて口に放り込むが、あまりの熱さに飲み込むことも噛むこともできない。しかし、美味い。生地に卵がたっぷりでほんのり甘く、タコのかすかな塩味と美味く調和している。一人前15個をいただいた。
その後明石の駅前をぶらぶらして、ホテル近くのやきとり「蘭坊」へ。
ヒップ(ぼんぼち)をたのむ。かりかりの塩焼きにしてあり、独特のぷりぷり感が損なわれてこれはよくないが、その他はまずまずの美味さ。チーズを中にしたつくねと、燗酒が美味かった。
龍野の煮麺、明石の明石焼きと、名物を食べて、この日の散歩はまずまず。
宿ではマッサージチェアのある部屋を取ったので、ゆったりとして休んだ。
今日の走行距離=約310Km |
旅の小動物
明石焼きやの前の猫(招いているよう
ないないような・・・)
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今日のリンク
龍野市
龍野城
片しぼ竹の宿 梅玉
亀山本徳寺
姫路城大図鑑
tたこフェリー
明石といえば明石焼き
明石焼きMAP
蘭坊
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