8月15日(水)晴

10時前にチェックアウトし、カトリック玉造教会へ向かう。

細川ガラシアと高山右近の像があると事前に調べていたので、是非とも一目見ようと訪ねた。

お盆だからだろうか、道はすいていてホテルから5、6分で到着。

立方体をした大きな教会である。
正面入り口の両側に、ガラシア夫人と右近の大きな像がある。
どちらもきれいな顔をしている。

教会の中では、終戦の日のミサであろうか、ミサが行われていて見物人は入れなかった。

側面の窓からのぞいてみると、立派なステンドグラスで彩られた大きな会堂で、聖歌が歌われていた。
オルガンとソロ・ソプラノ、斉唱と、窓から漏れてくる聖歌を聴いていると涙がにじんでくる。
室町時代の終わり頃から静かに続いてきた信仰という印象である。
日本のキリスト教信者は人口の1パーセントを超えないというジンクス(?)みたいなものがあるが、しかしその1パーセントを大きく下回ることもないだろうと、思った。
このように静かに、ひたむきに信仰を守っている姿には、無条件に感動する。






大阪城に向かう。

玉造教会からはすぐである。10:25大阪城到着。

大きな城で、天守閣まであえぎあえぎ行く。

天守閣前の広場には、多くの人がいる。外国の言葉も聞こえてくる。

今目にしている天守閣は昭和6年に再建されたもので、徳川幕府によるものをもとにしている。
徳川幕府による大阪城は、二代将軍徳川秀忠により大坂城再築工事が起こされ、3期に渡る工事を経て三代将軍家光の時に完成した。
秀忠は普請総奉行に選ばれた藤堂高虎に、石垣や堀の深さを2倍にと命じたといわれる。
今の我々が目にしているのは、天守の規模も含めて、「太閤さん」の大阪城ではない。あくまでも徳川幕府の大阪城である。

それにしても大きい。

石垣は一番高いところで、根石から30メートル余りあるという。

30分ほどいて、帰途につく。




都市高速の分岐を間違えた。
まあ、これ幸いと、神戸へ向かう。

12:00元町駅前に到着。
丸玉食堂で昼食。昨年暮れにも出張で来たが、うまい。豚足煮込みとチャーハンをいただく。

山陽道を走っているうちに、日生の海が見たくなった。

赤穂で高速道を下りて、ついでと言っては何だが、14:30赤穂城へ立ち寄る。
堀と石垣だけが残る城であるが、先ほど大阪城を見たばかりなので、その小ささが身にしみるようである。
一番高いところで10メートルはないのではないか。
堀端の石垣は水面から2メートル足らずほどであった。

大石神社へ行くと、骨董市をやっていた。
私は骨董品がだめで、あの饐えたような匂いがいやだ。
大石神社の門前には四十七士の石像が建ち並んでいる。台座をよく見ると、どれも子孫や縁者の寄付によっていて、大石内蔵助像は当然大石さんの名が寄贈者として彫ってあった。

赤穂は、赤穂浪士で有名であるが、浅野氏が刃傷事件により改易になった後は、永井家が、さらにその4年後には、蘭丸の家系である森家が入り、幕末まで続いている。
森家は塩の生産をより盛んにしたり、水道を整備したりと、藩主としての努力を怠らなかったようだが、内匠頭の前では影が薄い。
というより、内匠頭前後の藩主については、誰も興味を示さない。
赤穂城にいても、それは同じであった。

30分ほど滞在。






国号250号線を走ってしばし、日生の海は美しかった。

美しい景色を横にしながら、あまりに気持ちよくて車を停めることも思いつかず、写真はない。

そこから岡山まで国道を通り、早島ICから再び山陽道へ。
19時過ぎ、無事帰着。


走行距離=381.4Km

参考リンク
近松門左衛門と浄瑠璃の奇跡
魚河岸野郎 魚河岸四百年
西鶴と生玉
生玉万句
芭蕉(bashoDB)
芭蕉全傳 016-1-5-96-99
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドットコム
芭蕉の晩年と墓所義仲寺
俳句の雑学小事典
蕪村周辺探索ネット
日本古典文学電子テキスト

小林秀雄年譜
中原中也 略年譜
三好達治文学碑
近現代詩まとめ

大阪歴史散歩:上町台地を歩く
コースマップ(上町北)
大阪市道路公社ホームページ
大阪再発見
鶴橋駅周辺のにぎわい
大阪大空襲

ぐるなび - 黒ひげ
居酒屋一風

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