1998年夏の旅



1998年
8月14日:−不破の関−関ヶ原−大垣
8月15日:−郡上八幡−高山−古川−白川合掌の里−富山
8月16日:−千里浜−東尋坊−織田町−越前陶芸村−敦賀
8月17日:−三方五湖−京都−

走行距離:1768Km









1998年8月14日


【漂白の思い】
 人はなぜ旅に出たがるのか。
 昨年初めて独りで旅してから、旅行づいたが、なぜ旅に出るのか万人に説明できる客観的理由は、ない、のだろう。
 「旅に出ると自分が分かる」
 確かにそうだろう。でも、それは旅のほんの一部分に過ぎない。
 「人々との出会いがある」
 私は、非日常的な通行人として通りすぎるだけ。
 旅に出る様々な理由を私たちは思いつくが、それらはすべて言い訳にすぎない。
 旅に出たいから、旅に出る。
 芭蕉が「漂白の思い」とよび、「そぞろ神」とよんだものがそうにちがいない。
 しかし、芭蕉も旅という日常からの離脱に対して後ろめたさをもっていたようで、「月日は永遠の旅人だ」とか、「人生は旅だ」と言い訳めいたことから紀行文を始めたが、やがては「そぞろ神」を登場させ、「三里に灸すゆるより松島の月まずかかりて」と自らのあられもない姿をも昇華させてしまう。正直である。
 旅には目的地が必要である。しかしそれも、言い訳にすぎない。芭蕉も白河の関、松島では発句を詠まなかった。それは感動のあまり、と解釈するのだが、旅に出ている自分がいることで満足するのであろう。そして過去の旅人に自分を重ねられればなおいっそうその陶酔感は増す。
 旅が、日常から離れた時空間を私たちに与えるのは、「漂白の思い」や「そぞろ神」にとり憑かれた状態だからなのだろう。
不破の関の看板 曇り時々晴。7時50分出発。山陽道に入り沼田PAで朝食。竜野SAで昼食、そぼろそば。京都の手前から渋滞。関ヶ原までつづく。150Km進むのに5時間近くかかった。「お盆渋滞」は初体験なので、感心しながらじっとしていた。
中山道の石標 17時、関ヶ原ICで下りて、不破の関跡に。とくにこれといった施設もなく、看板があるだけ。芭蕉の時代にすでに何もなかったのだからしかたない。
藤古川 道標に沿って中山道を歩く。藤古川、壬申の乱のときこの川をはさんで天武天皇軍と弘文天皇軍が陣を敷いたという。
三成陣跡 関ヶ原の古戦場へ。石田三成の陣跡へ行く。竹矢来や幟が当時を再現している。山道を登りながら、三成軍の将兵が甲冑を身につけここを上り下りしたのかと感慨にふける。
関ヶ原古戦場 三成陣跡から関ヶ原を見る。この山に囲まれた広々とした土地を、泥まみれになりながら将兵・雑兵たちが走り回ったのである。わずかな時間で歴史が決まった土地である。

さんざん迷って、大垣赤坂の料理旅館「梅竹」へ。夕食はたのんでなかったのだが、周りに飲み屋もなく、料理を作ってもらう。有り合わせとは思えない立派な食事だった。


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