1998年8月16日

雨の千里浜 雨のち曇り時々晴れ。9時前出発。この年は雨が多く、富山は私が行く前に市内が冠水したほど。この日も出発したときは薄曇りだったが、10時過ぎ千里浜、なぎさハイウェイに入ったとたんに大雨。それでも果敢に砂浜のハイウェイを走る。道にはゴミの山! 数百メートル走ってやめた。
雨の千里浜の日本海 車窓から見る海岸も、ご覧のとおり窓伝う雨水に歪んでいる。
11時過ぎ北陸自動車道「まっとう車遊館」で昼食。
東尋坊 13時20分過ぎ、東尋坊。自殺の名所。うす曇りだが、人が多い。岩の上には人がスズナリ。想像よりスケールが小さい。万座毛の方が10倍大きい。でもなぜか気分がいい。不思議だ。
藤野厳九郎記念館 東尋坊のすぐ近くにある、藤野厳九郎記念館。魯迅の『藤野先生』の藤野先生の家が、仙台から移築されて資料館になっている。なぜか誰もいない。係もいなく、玄関に南京錠がかかっていた。なんのこともない普通の昔の二階屋であったが、魯迅が忘れがたく思っていた人の家であることを思えば、国を超えた人間同士の交流に、感慨も深い。
越前水仙の里公園 越前海岸道路を走って、15時15分頃、越前水仙の里公園に。波しぶく海岸に静かな公園があった。
織田町剱神社本殿 越前岬を過ぎて織田町に。16時15分、信長の祖先が神官をしていたという剱神社に立ち寄る。お祭りらしく露店も5軒ほど出ている。だが町民は数人しかいない。町内は人がいないかのように静かだ。ほんとうに誰もいなくて、神社にいたのが全町民だったりして、・・・・
立て札 剱神社の外を流れる小川にあった立て札。「神罰を受けます」という但し書きが、なんとも可愛い。
越前陶芸村 16時30分前、越前陶芸村に。ほどよく雨もやんで、緑がきれい。そば猪口を買い、公園内の「点心庵」で天おろしそば。凝った天ぷらが付いて、そばも美味しい。
その後武生に抜けて、渋滞の中敦賀湾沿いへ。敦賀トンネルを抜けた峠から見た敦賀湾は、おだやかで絶景。渤海の使節が船を入れた昔を思わせる。
18時半過ぎにビジネスホテル山形に投宿。敦賀はなぜかラーメンが流行っていた。大通りのあちこちに軽自動車の屋台が並び、それぞれにそこそこの客がいた。敦賀駅前の「敦賀ラーメン」を食べる。まあまあそこそこの味。夜雷が鳴って雨が降った。


1998年8月17日

三方五湖 曇り時々晴れ。8時半前に出発。9時半頃三方五湖に。なかなかの絶景。
鯖街道を通って京都に。大原三千院の前を通り、そこでガソリン入れた。やはり言葉が優しい。カードでガソリン入れが、サインすると「あの有名なワタダマサルさんですか」と訊かれた。関西では有名なワタダマサルさんなんですねえ。イラストレーターでラジオにも出ている和多田優さんがいらっしゃる。大原では、冗句も優しい。店長さんの顔も優しかった。
それから京都市内をああでもないこおでもないと走って、京都南インターから高速へ。ひたすら広島へ戻ってきた。帰りはひたすら睡魔との戦いだった。(ああこわかった・・・・・)
【風景】
 風景とは、発見されてはじめて風景となるそうだ。まことに。
 私たちが物事を理解するということは、比較の対象が私たちの中にあるからで、ある風景を愛ずべきものとして見るというのは、その評価の基準が私たちの(記憶の)中にあるからだろう。基準を持たねば、それはただの岩山であり、松という植物であり、川という地上の溝にすぎない。
 風景には意味がある、とも言いかえうる。私たちはすべて、意味に感動する。
 その「意味」を、現代に暮らす私たちはどこからもってくるのだろう。芭蕉が、千年むかしから連綿とつづく美意識にその「意味」をおいていたのに対して、私たちは安上がりな情報誌のグラビア写真にしかその「意味」がないとしたら、その風景の「意味」は千年と紙一枚と、厚みの差は絶望的ではないか。
 千年の厚みの中に降りていき、もぐり込み、時間の堆積した匂いとともに陶酔するその醸成を、私たちは味わえない。明治の断絶はじつに「風景」にまで及んでいる。


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