8月14日(土) 

6:00前に目が覚める。昨晩は2:00近くまで起きていたのに。ああ。カーテンを開けると燦々と輝く陽光。
しかし8:00頃までもう一眠り。

そのうちブンブンとエンジンの音が窓の外からする。ホテルの隣が住之江競艇場で、選手たちが試走しているのだった。




ホテルの部屋から見る住之江の海。
遠くにわずかに見える。

マップへ戻る
住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ   藤原敏行朝臣

「江 ; 海・湖などが陸地に入りこんだところ。(大辞林)」

「潟」より人間(じんかん)に近い響きが、「ひとめ」と共鳴し合っている。

「寄る」=「夜」が、掛詞になりそうでならないままに放置され、「夢」という縁語へすべり込んでいく。
その中途半端さが「人目よくらむ(人目を避けるのか)」というじれったさとなっていく。


9:15出発。昨日行けなかった住吉大社へ。

9:40着。大阪の商人からの寄進はすさまじく、江戸時
代の大きな常夜灯がいくつもある。
立派でかつ、気取るところがなく、大阪商人の大きさ
がどのようなものであったかのひとつの証左である。


江戸時代に住吉大社へ寄進された
常夜灯。

見上げるほど大きい。

10:25頃、高師浜へ。今も地名として残っているが、
埋め立てによってなんだか川だか運河だかのよう。
意外にも漁港があった。
「浜」であることを、今でも主張している。

潟、江、浜と、京師からの距離がへだたるほどに呼び
方が変わり、歌も、とりとめのないさみしさからやるせ
なさ、そして荒々しさへと変わっていく。




音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ   祐子内親王家紀伊

「浜 ; 海・湖などの水ぎわに沿った平地。浜辺。(大辞林)」

「音に聞く」=>「高し」(噂に高い)=「高師の浜」=>「波」=>「濡れ」と、縁語が難波潟をはずれ、住之江よりも遠い浜辺に寄せる波のようにうねりながら続いていく。

「濡れもこそすれ(濡れると困るから)」と言いながら、目の前に寄せ来る波の前にたたずんでいる。
戯れ言のような恋の応酬をしながらも、波は小さな飛沫となって降りかかってくる。


11:00過ぎ、昨年も行ったベルマージュ堺へ行く。
4階の食堂街で本日の定食を食べる。うなぎご飯と、冷やしうどんを釜揚げに変えてもらった。うどんは腰があって美味しい。1階のドラッグストアで虫刺されの軟膏を買う。

吉野へ向かう。

途中ガソリンがないことに気づき、カーナビの指示す
るとんだ山道をエンヤコラと回り道して30分以上のロ
ス。
吉野に入ると、カーナビは細い道ばかりを指示してく
る。
吉野神社でよしにしようかと思ったが、さらに矢印の
標識があり、つられて登っていく。

14:00過ぎ、吉野は、よかった。

無料駐車場に車を止め、暑い中を汗だくになりなが
ら、金峰山寺蔵王堂まで歩いていった。

深い谷が、険しさより優美さを持っており、歌から漂っ
てくる寂びた雅さ、あるいは雅な鄙といったものが、そ
のままに土地の空気の中に保たれている。

金峰山寺蔵王堂の中には入れたのだが、仏さんの
顔を拝むには拝観料が要った。
60円分の線香をお供えして引き返した。


芭蕉句碑
苔むして、読めない。


金峰山寺蔵王堂


朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪   坂上是則

み吉野の山の秋風小夜ふけて古里寒く衣うつなり   参議雅経

吉野は「里」や「古里」という言葉がよく似合う。

「鄙」ではない。「田舎」という現代語ではもちろん、ない。

「朝ぼらけ」「有明の月」「白雪」というほのかな光彩の統一。
さらに、「朝」−>「月」−>「(夜のうちに積もった)雪」と、時間を逆行する。

「小夜ふけて」暗さの中で研ぎすまされる聴覚に聞こえる冷たい「秋風」。
その奥にかすかに聞こえる「衣うつ」音。
そうした研ぎすまされた音が、皮膚感覚へとしのびこむ。


15:50長谷寺へ。参道入り口の駐車場へ500円払っ
て、歩いて向かう。

入山料500円。下からはお堂も見えず、お金を払っ
てハアハア言いながら石段を登っていった。

神々しい観世音菩薩に手を合わす。

髪を染めた若い女性が、石の床に正座してお経を開
き、数珠を手に一心に祈っている。

昨日のことといい、私にとっては観光の対象であるも
のが、ある人には信仰の対象になっていることに、思
いを深くする。
信仰というより、信心という方がいいのだろうか。
私が長谷寺にいる間じゅう祈り続けていた。
そのうちお堂の中からお坊さんたちの読経の声が聞
こえてきた。

しん‐じん【信心】
神仏を信仰して祈念すること。また、その心。信仰心。

しん‐こう【信仰】‥カウ
(古くはシンゴウとも) 信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面を
いい、神聖なもの(絶対者・神をも含む)に対する畏怖からよりは、
親和の情から生ずると考えられ、儀礼と相俟あいまって宗教の体
系を構成し、集団性および共通性を有する。

駐車場まで下りて、今夜の宿に電話したり、次の目的
地を入力したりしていると、件の女性が通り過ぎた。2
0代半ばくらいだろうか。
別段悩み深そうでもなく、祈りをすませてせいせいし
ている風でもなく、ごく普通に歩いていった。


長谷寺寺門

登廊

憂かりける人を初瀬の山おろしよ烈しかれとは祈らぬものを   源俊頼朝臣

歌の心は強く伝わってくるのだが、現代風に言い換えようとすると困難を覚える。

「憂かりける人を」の「を」という格助詞は、どこに掛かっていくのか。
この初句がなければ、初瀬の山から吹き下ろしてくる山風に向かって祈ったことになるのだが。

このわかりにくさが歌の力強さを生んでいる。

言葉が言葉の論理を越えて、原初的な強さにつながっている。

「憂かりける人」「初瀬」「山おろし」「烈しかれ」「祈らぬ」といった言葉がオブジェのように並び、「ものを」と逆接の接続助詞によって憂いの色が全体をおおう。

現代語訳は必要ないのだろう。


16:55、天香具山。

周囲は稲田で、低い山がこんもりとしている。少し離れて眺めると、神々しさより親しい頼もしさを感じさせる。


春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山   持統天皇

万葉集には「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山」となっている。変化の理由はわからない。時代による変化なのか、あるいはひょっとして定家が変えた可能性はなくはないか。

暦ではなく、感覚で季節の変化を描くのが、現代人にも人気のあるところであろう。

視覚だけでなく、肌に感じる温度や湿度さえもこの歌に描ききられている。


18:00、龍田大社。

周りは宅地だが、玉砂利には箒目があり、裏手の山
は甘南備山、御室の山である。

そこからホテルまでの道筋に、竜田川がある。河畔
が公園化されて、穏やかな流れである。
竜田川大橋といっても2車線で、短い橋を渡っていく。


龍田大社
夕方だからか、誰もいない。

千早振神代も聞かず龍田川から紅に水括るとは   有原業平朝臣

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり   能因法師

業平の歌は屏風絵に賛したものとされる。

「千早振神代も聞かず」と言ったとたんに私たちは神代以前も取り込んだ、時間を超えた世界に放りこまれる。

能因法師の歌もそうした空気の中で読むと、絢爛たる屏風絵や錦織の世界が広がってくる。

私たちは、幽玄というとはかなさに傾いてしまうが、豪快さや華麗さもその範疇に入っている。

言葉の外に広がる世界の広さが、幽玄をかたちづくる。


ホテルの近くまで来たのだが、右折場所を間違えたり、ホテル前の道が歩行者であふれかえって車で通れるのかと迷ったりで、けっきょく20:00着。

JR奈良駅前の「駒八」で夕食。
小さな定食屋。トンカツ定食とビールで1120円。飛び抜けて美味いわけではないが、毎日でも食べられそうな味、いわゆる定食屋の味(定食屋なんだから定食屋の味というのは当たり前なのだが)、何気なく満足。
サークルKで「クロ高」のトレーディングフィギュア、メカ沢2体ゲットしたし。


走行距離;193Km
今日のBGM;As Falls Wichita, So Falls Wichita / Pat Metheny & Lyle Mays
        Hallucination Engine / Material
        AWB / Average White Band


前の日へ  INDEXへ  次の日へ