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2004年夏の旅

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じつは、前回(「加古川彷徨」)のひとり旅の半月後、虫垂炎で緊急手術を受けた。
そのせいか、体力の回復を待って、なんだかしみじみと数ヶ月を過ごし、体調も復活してきた感じであったが、盆休暇前の1週間は、なんだか体と脳みその反射だけで過ごしてきたような1週間だった。元に戻ったのは、11日にスーパー銭湯「五日市天然温泉ゆうゆう」に行ってから。そして、もう1日快復を待った。
今回の旅のテーマは、関西歌枕の旅とした。
ただし、天橋立と和歌山の由良は、旅程の関係で涙をのんで割愛した。
8月13日;-明石-須磨-住之江
8月14日;-高師浜-吉野-初瀬-橿原-奈良
8月15日;-木津-宇治-逢坂-京都-福知山-綾部
8月16日;-嵐山-猪名川-有馬-高砂-
全走行距離=1253Km



2004年8月13日(金) 

9:30過ぎ、予定より30分遅れで出発。昨晩は寝付けず、眠りに落ちたのは5時前。
いつもの通り、沼田SAで朝定食。
後はひた走り、三木SAでトイレ休憩。三木JCTから、布施畑西ICで高速を下りる。

なにかの拍子に「神戸」という文字が目に入り、「神戸」なら「牛肉」だろうと思いこんで、それまではマクドナルドでと思っていたのを急遽変更、カーナビで検索した「ステーキ工房 小粋」という店に13:40過ぎ
鉄板の前にカウンターがある形式のステーキ屋。「ランチA・250g」を頼む。
目の前で焼く形式らしく、少しばかり待たされ、ようやく調理人が目の前に現れたと思うと、パフォーマンスを始める。
塩や胡椒の入れ物をくるくるとんとんと回し、ほうり投げ後ろ手に受け取る。見ているこちらは、目ぱちくりの口あんぐり。
コンニャクとハクサイと豆腐を炒め、コンニャクはレモンバター、ハクサイはバター醤油、豆腐はタルタルソースを田楽風に載せて、前菜としてはおもしろい。
メインの牛肉はあっさり塩胡椒にカリカリニンニクの砕いたのをかける。モヤシとネギ(アスパラ?)とモヤシと同じ細さのパスタをバター醤油で炒めたのをつけあわせる。
ご飯とみそ汁と柴漬け、沢庵、昆布佃煮の小皿。ご飯はお代わり。つけだれはショウガ醤油とみそ醤油。何もつけなくてもほどよい塩胡椒が効いて、肉は焼き加減もちょうど佳い。でも、何となくたれをつけて食べたなあ・・・。
デザートは焼きプリンと牛乳の味濃厚なアイスクリーム(と言うか牛乳シャーベット?)とコーヒー。
昼からパフォーマンスもついて、2300円。肉はおいしい肉だった。
肉をばくばく、ご飯をばくばくというのとはちょっと違うが、味は真摯であったし、調理してくれたお兄ちゃんが気軽に話しかけてくれて、緊張しがちの私としては気楽になった。


14:40ころ、明石大橋のたもとに着く。暑い。
舞子公園内の駐車場にうまく入れず、TIO舞子の駐車場に入れる。
松帆の浦まで行くことも考えていたが、定家の歌は、対岸から眺めた景としたほうが「こがれつつ」の情趣がよりあるかと、明石大橋は渡らないことにしていた。
歌の景どおり、海峡を挟んで見る淡路島の端は、身を焦がしつつ焼く藻塩がたてる煙であるかのように霞んで見えた。

明石大橋

旅の小動物シリーズ
ハト。
暑さでだれてます。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ   定家

歌意は「身もこがれつつ、来ぬ人を待つ」なのだが、掛詞、縁語が身をよじるように使われて、じつはそうした、言葉の身もだえしている様子がこの歌の本当に意味なのだと思う。

じりじり焼かれる思いで恋しい人を待つことと、淡路島の松帆の浦とはほんらい関係がなく、ただたんに音の上だけで関係を持つ。
掛詞とは、いってみれば「ダジャレ」なのだが、駄洒落にはセンスが必要だ。
ただたんに音が合っているだけでは駄洒落にはならない。

来ぬ人を待つには、根が生えて動けぬ松を取り合わせなければならず、恋いこがれる思いには藻塩を焼くじりじりといつまでも続く熾火のような熱でなければならない。

さらに、明石という京文化の辺境のさらにむこうに、暮れなずむ凪の海をへだててかすむように見える、淡路島北端の松帆の浦でなくてはならない。

定家は歌詠みとして、言葉の持つ力にあくまでも鋭敏であった。

言葉で伝えきれない・表現できないものを、いかに言葉で伝える・表現するか。気分あるいは雰囲気であり、嗅覚や触覚であったりするものを、いかに言語で伝えるか。

定家は、身なりを整え端座して作歌したという。
それは、思いが言葉として凝結するのではなく、歌として凝結した言葉が思いと一致する、あるいは思いを触発するのを待っていたのではないか。そのためには何時間、何日間待っても飽くことはなかったという。

「百人一首」の編集姿勢も、それと食い違うことはまったくなかったはずだ。

言葉が言葉であることを超えて訴えかけてくることを、編集の基本姿勢として貫いているはずだ。


15:40頃、須磨浦公園に着く。

駐車場に車を駐め、敦盛の墓を見に行く。案内板が親切に立っていて、迷うことはない。
国道2号線と山陽電鉄本線にはさまれて、静かに佇んでいた。
傍らには「敦盛そば」のさびれた看板の店が扉を閉ざして寂れていた。
蝉の声と、車の音、そして電車の通過音、そんなところに敦盛が眠っている。
「戦破れにしかば・・・」功名をあせる熊谷次郎直実はこんなところまで落ち武者を求めてきたのだ。
もっともここがそこなのか、確実なことではない。
須磨は北に山が迫り、一番距離がありそうな北須磨小学校から海岸までを地図で測っても1.3キロメートルほど、ゆっくり歩いても30分もかからない。
敦盛の墓からは、90メートル足らずで海岸に達する。
あとわずかで味方の軍船に乗り込もうとしていた若武者を憐れむにちょうどよい距離だ。
いったん須磨浦公園のほうに戻りかけて、蕪村句碑を須磨市発行の地図で見つけて後戻りしたところ、初老の夫婦が敦盛の墓に詣でて浄財を捧げ手を合わせていた。

蕪村句碑はいったん須磨浦公園に戻り、山陽電鉄本線を越える橋を渡って折からの暑さに喘ぎつつ登ったところにあった。

春の海終日のたりのたりかな  蕪村

たしかに展望所から眺める須磨の海によく合っているが、もし本当に蕪村が須磨の海を眺めて詠んだ句であれば、芭蕉の「夏草や」の句と同様に、「終日のたりのたり」とたゆたう波に源平の無常を見ていたことであろう。
該当の句は、どこの海かについて諸説あり決めがたい。
蕪村句碑の向かい側に芭蕉句碑があった。

蝸牛角ふりわけよ須磨明石  芭蕉

山陽電鉄本線須磨公園駅から須磨寺駅まで電車で行った。
片道150円、距離にしてだいたい1500メートル。
電車の色はかつての広電電車と同じような朱色。車内は冷房が効いていて気持ちよかった。

須磨寺駅の駅舎を出るとすぐに「平重衡とらはれの遺跡」の碑があり小さな祠がその横に並んでいる。私が写真を撮っていると、老婦人がその祠に賽銭を入れ拝み始めた。

先ほどの敦盛の墓と同じく、歴史的遺跡ではなく、人々の何らかの信仰心のよりどころとしてあるのだろう。
それとも、千年の時を経ても、なお花を手向ける人々がいるということなのだろうか。


敦盛の墓

蕪村句碑

句碑から見える須磨の海

源平合戦800年記念碑

重衡とらはれの遺跡

関守稲荷には、16:30頃着いた。

小さなお稲荷さんで、私が着くと社務所らしい家から数人の初老の人々が、今日はうまくいったとか行かなかったとか言い合いながら出て、去っていった。

ここに須磨の関があったわけではないのだが、昔を思うよすがではある。




関守神社境内の兼昌の歌碑

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淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守   源 兼昌


「源氏物語」須磨の巻に

友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝覚めの床もたのもし

とあるのを下敷きにしたとされるが、王翰「涼州詞」や王維「送元二使安西」といった辺境を詠んだ詩への思いが、編集者定家になかったとは言えないだろう。

紫式部は千鳥の声を「たのもし」と光源氏に詠ませたが、海を越えて淡路島へ飛ぼうとするのか、夜ごと鳴く千鳥の声は、京を遠く離れた関守の眠りを妨げる。

自分と同類である千鳥への共感と同時に、その千鳥でさえ海峡を越えていけるのに、という索漠たる孤独感が、眠りを妨げる。


「源氏寺」と言われる現光寺を訪れ、須磨寺駅へ戻る。

「源氏物語」はフィクションなのだが、阪神大震災で全壊、その後新築された寺に萩の花が植わって、それらしい雰囲気が自然にある。

夕さりて萩風涼し源氏寺

駄句である。

須磨寺駅脇には源氏書房という小さな本屋もある。


現光寺
萩の花が風情をそえている。

源氏書房
売っているのはドラえもん。

難波潟を見に、大阪市此花区常吉へ向かうが、阪神高速で事故が発生し、カーナビに従ってポートアイランドに入ったりあちこちして、阪神高速5号湾岸線北港西で下りて、此花大橋を渡ると、どぎつい色彩の不思議な建物がある。

18:30頃、到着。
淀川の河口は広々として、二・三人の釣り人がいるが、風景としては何ともとらえどころがなく、折からの夕暮れの薄茜色に、「茫々」という言葉が浮かんでくる。それも「ぼーぼー」という現代語ではなく、「ばうばう」あるいはそれ以前の「ふぁうふぁう」という音。さびしさが行き場を失って川とも海ともつかない水の上をさ迷っている。



難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや   伊勢

わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ   元良親王

難波江の蘆のかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋わたるべき   伊勢大輔

「潟」とは「潮の干満によって陸地が現れたり水面下に隠れたりする所。」(「大辞林」)

淀川の河口はとらえどころないほど広い。

澪つくし(=航路標識)でさえ、これらの歌の中ではとらえどころのない不安定さを際立たせている。

恋の流れに身をまかせたものの、寄る辺ない思いが、ただよってくる潮の匂いを懐かしむようなほのかな嗅覚や、日ごとに干満を繰り返す不安定な思いとして、希望と絶望の間を往き来する。

枕詞として使用される「難波(潟)」が、なくてはならないキーワードとしてその命を発揮している。


19:15ホテル着。

ホテル脇の居酒屋「喜世」で今夜の食事、げその唐揚げ、茄子田楽、だし巻き、生中1杯、日本酒2合、シラスご飯アサリのおすましと漬け物つき。げそ唐揚げについてきた焼き塩はカレー粉が混ぜてあった。茄子田楽のみそは、なんだろうか、なにか発酵したような香りがする、マヨネーズか、コンデンスミルクが混ぜてあるような、ピーナツかゴマだろうか。美味しくないわけではないが、鼻につく。だし巻きは普通。アサリのおすましは醤油がきつい、たぶん昆布出汁だろうが、昆布の味がきつい。一昨年富山の道に駅で食べたそばの汁のような感じ。せっかくなのに惜しい。

ホテルの周りをぶらりぶらりと歩く。
信号待ちをしていると、歩行者用信号がまだ赤なのに周りは渡り始める。つられて歩き始めると、半分近くいったところで青に変わった。
さすが大阪。

ホテルには東海大甲府高校と横浜高校の野球部が、甲子園出場のため泊まっているようで、数名の高校生とエレベータで乗り合わせた。
どこかで体を動かしてきたのだろう、バットを持っていた。体は大きくない、私より大きい子はいない。
私の隣に立った子に訊いてみると横浜高校だという。素直におじさんの気持ちになって、がんばってくださいとささやくと、はいと答えてくれた。
翌日、横浜高校は勝った。


走行距離;382Km
今日のBGM; East Wind / 菊池雅史
         Musicology / Prince
         Pat Metheny Group / Pat Metheny Group


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