秋十歳却って江戸を指す故郷 芭蕉
今日は閉館日で外からそのたたずまいを見ただけだが、芭蕉の生家はつつましい。
十代前半から城に出仕し、二十二で主君蝉吟を失い、二十九で江戸に下る。
降るように鳴く蝉の声に埋もれる上野城趾を歩いていると、芭蕉の句に現れる『蝉』に
は、亡き主君蝉吟が常にこだましているように思われてならない。
蝉吟を亡くした二十二の時から二十九の時まで、芭蕉は城に登ることがあったろうか。
立秋のころ、ぬぐっても流れる汗をかきながら、芭蕉はこの坂、石段を登っただろうか。
芭蕉の哲学者らしい、しかつめな表情というのは、このころに成されたものな気がする。
江戸に下り名を成し、ほぼ干支一回りで隠居し、五十過ぎて東北の旅に発った芭蕉の
覚悟のほどは、既にこのころに成されていたものだという気がする。
前掲の句、犀星の『小景異情』と同様の痛いばかりの望郷がある。
さらに、捨てるに捨てられぬ望郷を切り捨てようとする心がある。
|